『藍の糸』(着物始末歴 二)中島 要 著
テキスタイル文学館
呉服太物の大店(おおだな)「大隅屋」の若旦那「綾太郎」は、そんな余一をなんとか困らせてやろうと、無理難題を押し付けました。それは花魁(おいらん)の「唐橋(からはし)」から託された打掛(うちかけ)の始末。預かった5枚の打掛は生地が弱り、すり切れたところもある代物です。
ところが余一はそれを切り刻み、見事な一枚に仕立て直したのでした。その出来栄えに満足した花魁は綾太郎をを宴に招きますが、それは憎き余一の仕事のおかげ。当然、綾太郎の心中は複雑で、売れっ子花魁からの誘いというまたとない席にもかかわらず彼は、余一や余一に思いに寄せる「お糸」のことを考えていました。
お糸は小さな一膳飯屋の看板娘。後日、綾太郎がその店のぞきに行くと、藍染めの半纏を着ている男たちで満杯でした。その様子を見て、綾太郎は藍甕(あいがめ)のようだと感じます。職人、人足、火消したちは、血止めや虫よけになり、布を丈夫にもする藍で染めた濃い紺の衣を身にまとい、命や暮らしを守っていたのです。その“藍甕”の中でお糸は、荒っぽい男たちの言葉にも動じず、てきぱき気丈に立ち働いていました。その姿はどこか、洗うたび色がさえる、藍の糸のよう…。
江戸時代、きものや帯は貴重なものでした。子の背丈に合わせて母が自分の浴衣地をついだきもの、縁起のいいい唐子(からこ)の素人刺繍を施した帯など、余一のもとには女たちの手仕事の跡が見られるものも数多く持ち込まれてきました。