北川ケイさん著「江藤春代の編物普及活動」を読んで 〈後編〉
林ことみのハンドメイドNavi
西洋との差を埋めた先人の創意工夫と情熱
江藤春代は生活を支える術として編み物の普及に努めたことは、前号で触れました。
2019年に出版した『小瀬千枝の伝統ニット』を書くために、イングランドやスコットランド、北欧のニットの背景を調べていると、収入を得るために一家総出で(男性も含む)編み物をしたという記述を見つけたことを思い出し、庶民にとっての編み物は同じようだな~と思いました。家族のために編む以外に、仕事としても編み物の技術は必要だったのですね。
デンマークのとある島では、質の良いセーターが編めるようになるための少女たちの学校があったとヴィヴィアンさんから聞きました。ヨーロッパの編み物は細い糸・棒針でしっかり編むセーターや靴下が必要とされたので、寸暇を惜しんで編んでいたと思われます。
それに対して明治時代の日本では和装が中心だったので、かぎ針編みのショールなどが防寒着として重宝されたようです。これは私の個人的な意見ですが、日本の編み物人口のうち、かぎ針編みが好きな人の方が多いような気がしていました。これは明治時代のかぎ針編みの影響かもしれません。
それにしても明治政府樹立から近代化が急がれ、明治20年には編み物の本が出版され、街には手編み製品が販売されたというこの時代の変化には驚きます。
日露戦争後は軍人遺族の内職としてレース編みが普及し、第一次大戦後には輸出用のレースが内職として広まった…など、女性たちの編み物技術は、時代の情勢と切り離せないものでした。
明治以降150年あまり、今はホビーととらえられることの多い編み物ですが、本来生活に必要な技術であり、その目的は変わっていないはずです。日本の編み物の歴史はヨーロッパに比べると短いものの、先人たちの創意工夫と情熱は、その差を一気に埋めてくれたように思います。そんなことをちょっと頭の片隅に置いて、針を動かしたくなりました。
北川さんの次の研究は『日本のレースの変遷と普及活動をした河野富子』がテーマで、また論文を書かれるようです。これもまた楽しみです。