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2024/12/12
ふだんウズベキスタンという国に接する機会は少ないかもしれない。かつてその辺りはソグディアナと呼ばれていて、そこに暮らしていたソグド人たちは、交通の要衝であったことから高度な文明を有していた。
文&写真提供 ひろいのぶこ
毎年秋に公開される正倉院宝物の中でも、異国的なペルシャの文物に私は魅力を感じてきたが、じつはペルシャとその西のソグドの文化が近似していたことが明らかになりつつある。長安で活躍した西域出身の役人の記録も残っており、当時シルクロードを行き来した隊商のソグド人商人が担った功績は無視できない。
青の都と称されるサマルカンドやプラハ、ヒヴァなど歴史のあるオアシス都市を訪ねると、この国の波乱にとんだスケールの大きな歴史を身近に感じることができ、彼らの日常生活や美意識にも親しくふれることができる。
養蚕でえた絹をタテに、また綿栽培による綿糸をヨコに織りなすアドラスは、縦絣、縞など平織の長い上着(男性用はチャパン・ハラト、女性用はムニサックなどと呼ぶ)のデザインは、これぞウズベキスタンという明快さと大胆さで印象深い。
それにくわえて刺繍のスザニも忘れられない。針の刺繍という意味のスーザニまたはスザニが世界に知られるようになったのはそれほど古いことではない。
すでに優品は海外へ流出したと聞いていたが、市場に行けば新旧のスザニが並び、植物染料による糸染めも2007年当時試みられていた。木綿地に赤や橙色の絹の甘撚り糸によるチェーン・ステッチ、クロス・ステッチ、ダーニング・ステッチなどで刺した大きな花や太陽のモチーフは、布地を埋め尽くさんばかりである。迫力のある壁面装飾でもあるスザニは、屋内外で客をもてなす時に一座を囲むに不可欠な染織品である。結婚時に花嫁が持参する大切な家財であったが、現在では重要な換金商品と言えよう。
制作は女性の手仕事に依っていて、それを商うのも女性の領域のようだ。市場も町の中でも、幅広のパンタロンにカラフルな大柄のゆったりワンピースを着た女たちが堂々として見えるのは、これらの活発な経済活動と関係があるに違いない。また、絣や刺繍に見られる色彩や文様がはっきりと主張しているのは、乾燥した空気のせいばかりでなく、そうした気風とも通じているように感じられる。
なかでも私にとって忘れられないのはタテ糸を指で操作する紐であった。
サマルカンドから南のボイスンへ向かう途中の集落に立ちよった時のこと、工房の壁に立てかけた簡素な機で織っている小さな敷物、それも結び織りと綴れの両方を若い女性たちが織っているのを見せてもらった。
強い陽射しの中で、年輩の女性が太い綿糸に紡錘で撚りをかけている。タテ糸に用いるのであろう。立ったまま紡錘の軸を太ももに当て、撚りをかけて巻き取っている。姉妹や従姉妹なのか、数人が私たちを取り囲んでにぎやかだ。
広げた敷物と一緒に、われわれの目につくところにショルダーバッグがぶら下がっていた。「その紐はどのようにして作るのですか」と訊ねると、さっそく糸玉をもってきて、目の前でワークショップが始まった。
両手に輪をかけて紐を組むことは私も行うが、これは目からうろこであった。タテ糸の輪にもう一方のタテ糸をくぐらせて開口し、そこにヨコ糸を入れ、これを繰り返すというもの。そもそも機が不要で、1人では織れないというのが面白いし、協力して作業するのが何より楽しい。
大学の染織基礎の授業や国立民族学博物館で行った「ウズベキスタンの指で織る紐」ワークショップはいつももりあがっていた。
この国でもカードを使って紐を作るのだが、カードは長方形で穴が上下に2つというのはあまり見かけない。時々となりのカードを何枚かとび越して、曲線を織り出すのも珍しい。
博物館で展示されている伝統服を注意して見ると、上着の縁にカード織りが使われていることに気づく。その場合には、ヨコ糸を通した針で布地へ直接に縫い付けている。
このような目立たない密やかな糸あつかいの知恵に、驚いてばかりのウズベキスタンの旅なのだ。
兵庫県神戸市生まれ。京都市立芸術大学 美術学部 工芸科 卒業後、同大学美術専攻科染織専攻修了。長年にわたり母校で教職を執り、2017年に名誉教授となる。繊維を用いた作品を制作しながら、世界各地の染織の現状等を調査・研究し、工芸資料を収集。作品は京都市美術館ほかハンガリー、フランス、アメリカなど海外の美術館にも収蔵されている。
ておりや通信『te』vol.87
ひろいのぶこ エッセイ『糸を旅する』より