オリジナル糸・織機・輸入クラフト用品のお店
2024/12/25
ウズベキスタンはシルクロードの要衝に位置し、東西文明が行き交い染織文化が育まれた ところ。
ちょうど私は6月に北アフリカのモロッコを訪れた。古くから地中海貿易で繁栄した国の1つである。この2つの国をつい並べてみたくなるのだが、これを書くにあたって2007年のウズベキスタンの写真をながめていると、どちらも乾燥地帯という厳しい自然が背景にある。
そこに息づいているのは、生き伸びるための切実ともいえる明快さや力強さ。たとえ糸や布においてさえ、なのである。深く記憶に残るウズベキスタン染織を振り返ってみたい。
文&写真提供 ひろいのぶこさん
旅をするにはありがたいことに晴天が続 く。極度の乾燥のせいで、肌に太陽光がチリチリと刺す。つねに長袖のつば広の帽子。そのようなところでは、木陰がどれほど愛されていることか。まして清らかな流れのほと りには、友人らが集い、飲食し、家族が憩う。 そうした野外の場を華やかに演出するのは、 迫力ある色と図案のスザニ刺繍の布だ。
その反対に静かに祈り、物思いにふけるには屋内の静謐(せいひつ)がふさわしい。
外光を制限しながらも美しく取り込んだ瞑想的空間でしばらくただずんでいると、植物モチーフがイスラムらしい左右対称に繰り返されているのが心地良い。均衡をやぶったり、劇的な表現がさけられたりしていて、それが心を落ち着かせるのである。
かたや壁のタイルに見られる手描きの線は伸びやかで、モザイクであっても手仕事ならではの緩やかさもあり退屈させない。
女性たちだけで運営する工房を訪ねた。各家で行う手縫いや刺繍は、ここに集めて仕上げ、出荷する。ウズベキスタンのあちこちで見かけた大量の繊維製品が、こうした仕組みで生産され、各地の女性たちの収入となっている。
最後に集合写真を撮る時の皆のはしゃぎようから、彼女らが生き生きと仕事をしていることが伝わってきた。
シルクロードの砂漠観光も少々体験した。宿泊はユルタと呼ばれる天幕。それを支える骨組みは強靭な木を組み立てたもので、織りの紐でそれらを連結し、上部と側面は分厚いフェルトを重ねて断熱する。
夏は40度をこえ、冬は零下となる気温差、視界ゼロの砂嵐もひんぱんにおきる。そもそも砂漠の民はこれを組み立て解体しながら、移動生活を送ってきたのである。それでも酷暑の午後は、側面のシートをあげて風を通すのですこぶる快適だ。
外見とはうって変わって、中はラクダや羊、山羊毛の細幅織物、フェルトの豪快なパッチワークなどで縦横に装飾されている。コントラストの強い意匠が目に飛び込んできて圧倒される。
正面に夕食が用意された低いテーブルがあり、床に座っていただく。食後外へ出ると、半球形の夜空から降りそそぐ満天の星。
生まれたばかりの赤ん坊の揺りかごに用いる魔除け用の紐を作るのは、村の女性たちである。白山羊、黒山羊と白黒のまだら紐を合わせて直径1センチ、長さ2メートルほどのZ撚りの紐に仕上げる。
3人は紐の端にスプーンの柄を通し、歌いながらそれを回転させ前に進む。その端にハジと呼ばれるリーダーがでんと腰を下ろし、3人に合図して撚り上げる。
まだ心もとない乳飲み子の無事を願う、なんとも心のこもった紐ではないか。
コロナ禍をきっかけに始まった連載、長らく読んでいただきありがとうございました。これからも手の仕事を続けていくこと、それが人間の暮らしの基本だと思います。過去から未来へ、ずっと糸の道は続いていきます。
兵庫県神戸市生まれ。京都市立芸術大学 美術学部 工芸科 卒業後、同大学美術専攻科染織専攻修了。長年にわたり母校で教職を執り、2017年に名誉教授となる。繊維を用いた作品を制作しながら、世界各地の染織の現状等を調査・研究し、工芸資料を収集。作品は京都市美術館ほかハンガリー、フランス、アメリカなど海外の美術館にも収蔵されている。
ておりや通信『te』vol.88
ひろいのぶこ エッセイ『糸を旅する』より